忍者ブログ

エムズタイヤ~神戸の持ち込みタイヤ交換~

神戸市で持ち込みタイヤ交換はエムズタイヤへ タイヤ交換作業日記、日常、政治問題、グルメetc

[PR]

×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。

「歴史修正主義」という日本叩き

20年前の今日は、阪神淡路大震災により多くの尊い命が犠牲になりました。亡くなられた方々の鎮魂をお祈りいたします。合掌。


産経WESTに興味深い記事がありました。
日本悪玉論は歴史の真実か!?
間違った歴史は修正して然るべき!修正=悪ではない!
まさに、「歴史修正主義」という日本叩きがある。
--------------------------------------------------------------------------

今年、12月8日は真珠湾攻撃から73年となる。この年、重要書の翻訳が刊行された。日米開戦時のアメリカ大統領、フランクリン・デラノ・ルーズベルト(FDR)と同時代に共和党議員だったハミルトン・フィッシュの「ルーズベルトの開戦責任」(草思社)。原著は1976年の刊行。ひとことでいえば、ルーズベルトが日本に戦争を仕掛けさせたというものである。 本を紹介する前に、現代の状況を見ておこう。昨年から今年にかけて、「歴史修正主義(リビジョニズム)」という言葉に触れる機会が多かったことと思う。たとえば今年3月、ニューヨーク・タイムズ(電子版)は「安倍首相の危険な歴史修正主義」という社説を掲げた。「首相の修正主義的な歴史の利用は、東シナ海や南シナ海の領土紛争での中国の攻撃的な姿勢でもめているこの地域にとって、危険な挑発である」などとするものだった。

 ニューヨーク・タイムズは露骨な反日的論調で知られる。この社説は、慰安婦問題で日本が過去に行った韓国女性への謝罪を撤回するかもしれない、などと事実誤認も含んでいたから、日本政府が抗議し、そのくだりが訂正されたものが現在の電子版には載ってる。しかし見出しは変わっていないし、趣旨もそのままである。

 一連の慰安婦問題ではっきりしたように、捏造(ねつぞう)された、誤った歴史は修正されなければならない。しかし、誤っていてもその歴史が都合のいい側には、それを修正しようとする動きに「歴史修正主義」のレッテルを否定的に貼る。このようなレッテル貼りは、日本たたきというプロパガンダ戦の性格をも帯びる。

 ニューヨーク・タイムズに限らないのだ。6月の河野談話検証チームの報告に関して韓国・中央日報(電子日本語版)は「日本の歴史修正主義の動きは国際社会で孤立と逆風を招くだけだ」とした。国外だけではない。朝日新聞は終戦の日の前の社説で、首相が昨年の全国戦没者追悼式で「アジア諸国への加害についていっさい言及しなかった」ことに触れ、「歴史書き換えの一歩が潜んでいるのではないか」とした。自社慰安婦報道の検証の後にして、なおこの書きぶりである。重ねて言うが、誤った歴史は書き換えられなければならない。さてフィッシュの本である。この書物も、ルーズベルト外交に正当性を見る歴史家からは「歴史修正主義」のレッテルを貼られているという。

 だが、フィッシュの語る内容は刺激的である。アメリカが日本を追い詰めて開戦に至らせたという見方はこれまでもいわれていたことなのだが、そう主張する元の文章に改めて当たると、「正当性」をもって語られてきた歴史が一方的なものであることがわかる。

 フィッシュによると、ルーズベルトは国民に対しては「外国での戦争で戦うことは決してない」と繰り返しながら、実際は戦争を望んでいた。その理由については推測の形でしか述べられていない。ルーズベルトが展開したニューディール政策が失業者を減らせなかったので戦争によって失業者を救済しようとしたのか、など。しかしルーズベルトが戦争を望んでいたとは、繰り返しフィッシュは断言する。その口調はときに激烈である。

 「あの戦いの始まりの真実は、ルーズベルトが日本を挑発したことにあったのである」

 「FDR(ルーズベルト)の行為は反倫理的である。FDRは狡猾(こうかつ)で、抜け目のない政治家だった。ホワイトハウスに居座って、真珠湾攻撃の日は『恥辱の日』などと演説し、すべての責任を日本に被せたのである。今にして思えば、まさにプロパガンダの茶番劇であった」

 「近衛(文麿)首相は和平を希求していた。(略)しかしルーズベルトは近衛との会見を拒否し続けた。日本に戦争を仕掛けさせたかったのである。そうすることで対独戦争を可能にしたかった」

 アメリカ国内には欧州戦線への参戦に反対する声が多かった。真珠湾攻撃の翌日、ルーズベルトは議会で「恥辱の日」演説を行い、議会も国民も戦争へとなだれこむ。実は共和党の重鎮であったフィッシュも、それまでは戦争に反対であったが、「恥辱の日」演説に対応してルーズベルト支持を訴える演説を行った。ルーズベルト政権は最後通牒(つうちょう)「ハル・ノート」を突きつけ、日本が開戦を選ばざるをえないことを承知していたが、そのようなことをフィッシュも国民も知らされていなかった。この本でフィッシュは、ルーズベルト演説に対応して参戦を認めた自分の演説を、強く恥じていると書いている。ルーズベルトを難ずる筆致の激しさも、そのような理由によるのだろう。日本の降伏後、アメリカはいわゆるウォー・ギルト・インフォメーション・プログラム(戦争の罪を知らしめる計画)により、日本の戦争は悪であったというように日本人を「洗脳」していく。日本人自身による日本の卑下、罪悪視などという、現在になお大きく残る日本の左傾傾向は、そのような由来を持っているのである。

 民族の歴史を公平に見ようとすることは、修正主義でもなんでもあるまい。戦後の一方的な偏りを脱して公平に過去を見、非とすべきは非とし、是とすべきは是としたい。それが独立国たるものの態度というべきだろう。またその態度があって、外国との対等な関係も築けるものだろう。フィッシュはいっている。

 「日本人はあの戦いを最後まで勇敢に戦った。二度と米日両国の間に戦いがあってはならない」

PR