敗戦の日 その他 2014年08月15日 今日は世間では終戦記念日と言われている日です。負けて独立を失った日を記念日にすることは、おかしいと思っていた。勝って記念日にするなら分かるが、今日は「敗戦の日」です。今までなんの疑問もなく記念日と呼んできた方もいるでしょう。こう呼ぶ限り原爆投下も戦争を早く終わらせるために、犠牲者を減らす為に必要だったという話に繋がってしまう。大東亜戦争とはアジア諸国を植民地支配していた白人の列強国と戦ったのです。植民地であった原住民は、日本軍が植民地支配していた白人を追い払う姿を見て、祖国を白人から取り戻せるかもしれないと、アジア各国の士気は高まっていきました。戦後、日本は敗れましたが、アジア各国は独立戦争を起こし次々に独立を勝ち取っていきました。枢軸国(日本)と戦って疲弊した植民地を持っていた列強国はアジアを再び植民地にすることは出来なかったのです。この話は思想信条ではなく客観的な事実を書いています。これを結果論という人はいますが・・・。その中でもインドネシアの独立には日本軍も協力したことを覚えておいて頂きたい。僭越ですが、この大戦で命を落とされた将兵の中には軍部の無謀とも思える作戦で死ななくていい命まで犠牲にした軍参謀の責任は大いにあると思う。安全圏から現場の状況もよく分からず、最前線への兵員の逐次投入など兵站を十分に考えていたかと言えば、特に南方では考慮されていなかった。戦後、東條英機陸軍大将も国民に対しては敗戦の責任は私にあると言っている。その上で、神風特別攻撃隊で尊い命を犠牲にされた方たちを哀れな戦争の被害者だと言う風潮があるが、「世界が語る神風特別攻撃隊」という書物(こちら)にあるようにR・L・ウェアマイスター海軍中尉「特攻があったため、多数の米高速空母がハリツケになったことも、大きな成果のひとつである。もしも神風攻撃がなかったら、これらの空母は、自由に日本本土の基地や工場を破壊することができたはずである」このことを考えると作戦自体は成功でないとしても本土で多くの女性や子供が救われたのです。自由に本土空襲が出来ていたのならもっと多くの犠牲者が出ていたことでしょう。特攻で命を落とされた方たちの決意は生半可なものではなかったはずですそんな中、靖国神社で英霊として祀られることが心のより所だったのです。私は宗教はしていませんが、私が靖国神社を大切にする理由はここにあるのです。後世の私たちの為に散って逝った彼ら(英霊)の魂に手を合わせることは日本人として当然のことと考えます。彼らは日本の罪人ではありません。意見の違いがあれど、思い込みなしで皆さん一緒に考えましょう!大東亜戦争で命を犠牲にされた方々の鎮魂を祈願いたします。 PR